365日後に辞める女

2020年度で会社を辞めようと決意した(けど結局辞めていない)女の備忘録

331日 リディズバ感想(回ごと)

昨日は「リディズバ」のざっくりとした感想を書きました。今日は参加した4回について、回ごとに感想を書いていきます。

概要ではなく、個人的にぐっと来たところのメモになります。取り違えている部分があるかもしれませんので、きちんとした概要(アーカイブス)を知りたい方はリディラバのFacebookをチェックです!

https://ja-jp.facebook.com/Ridilover

いつにもまして雑記感が強くなってしまいましたが、悪しからず…

 

 

4月29日 

テーマ:「コロナが生んだ孤立の乗り越えかた」

ゲスト:堀潤さん

NHK職員だったこともあってか、放送について結構言及されていた。

  • 第二次世界大戦後の日本とドイツのメディアの対応の違い
  • ドイツ→「なぜ私たちが」ヒトラーと虐殺を選んでしまったのか、内省した
  • 日本→メディアの体制は変わらず。きちんと検証されてきたのか?
  • 輿論」と「世論」の違い
  • NHKは公共放送のはずなのに、「天下の」「お上の」とよく言われる
  • 放送と市民は、相互監視ができて、パートナーとなることが理想

 輿論と世論の違いは聞いたことがなかったので勉強になった。コロナ禍では、個人の責任が伴った「輿論」ではなく、民衆の感情や気分を指す「世論」ばかりが盛り上がっていると感じる。特にSNS上で。

佐藤 卓己「民意のリテラシーにむけて―「世論の輿論化」を考える」|慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)

 

  • 「世の中捨てたもんじゃないな」という気持ちが根底にあって活動している
  • 当事者に対して「頑張ろう」「負けないで」ではなく、「しんどいですよね」「どうしましょうかね」と言いたい
  • 余力があるときに「大丈夫?」って声をかける
  • 「不安、孤独」と言っても良いんだよという雰囲気を作る
  • 大きい主語(政府は~、中国は~など)は、差別やレッテル貼りになることもあるが、問題を発見させるためには使う必要がある
  • それを徐々に小さい主語にしていかないと問題は解決できない
  • 大きい主語を使った主観的表現(オピニオン、イメージ)=ファクトではない!
  • 大きい主語はリスクを背負いたくないときに使ってしまいがち

 「世の中捨てたもんじゃないな」という気持ちが根底にあるというのが良いなとしみじみ思った。堀さんは、基本的には世の中に期待せず生きているそうだが、そんな風に思える瞬間があるから今でも活動していると。

宮崎駿監督も引退の際「この世は生きるに値する」と若者に伝えることが根幹にあったと話していたが、それにかなり似ていると思う。こういう気持ちがないと、信念をもって行動し続けるのは難しいのかもしれないと思った。そんな瞬間を世の中に増やせたら最高。

宮崎駿監督「この世は生きるに値する」 引退会見の全文|アート&レビュー|NIKKEI STYLE

 

4月30日

テーマ:「あつまらない教育は日本の教育問題を解決するのか」

ゲスト:園利一郎さん(学校法人角川ドワンゴ学園

  • 学校の本質的な価値とは?「友達に会いに行くこと」ではないか
  • 居場所を作る、社会的孤立を回避することでもある
  • 貧困などの社会問題へのアプローチもできる場
  • 何もなければ会話すらしなかった人が存在して顔を合わせられる
  • モチベーション(主体性)の格差がものすごく開いている気がするが、オンラインだと格差は開くのではないか
  • 誰にでも心の心地よい領域がある。それが抑圧されない世界であると良いね

N高に立ち上げからかかわっている方が、学校の本質的な価値が「友達に会いに行くこと」というリアルの世界にあると言っていたことが意外だった。でもその通りかも。学校に行くことで自分の居場所が見つけられるのなら行った方が良いし、そこにないのなら行かなくて良い、そんな環境になるのが理想なのではないかな。

  • フィルターバブルが社会の分断をかなり作ってしまっている
  • 興味が狭い範囲に深くさせられていて、ディスカバリーがしにくくなっている
  • これとこれがつながっていたんだ!という発見があるようなレコメンド機能があれば良いのにな~
  • 価値観を固定させないこと、移動させる。パラダイムシフトを起こす

確かに~!!自分の考え方はフィルターバブルにすごく影響されてるんだろうな…価値観を固定させず、柔軟な思考を持っていたい。自分で発見しにいかないとダメなんだな。

 

5月2日

テーマ:「クイズ王なら社会問題のポイント、すぐにわかるはず!?」

ゲスト:伊沢拓司(QuizKnock CEO)

  • クイズにすると一回能動的に考えるようになるので、知識を伝えるのに使える
  •  一方でクイズは暴力的。「正解(答えられる)/不正解(答えられない)」で切り分ける。時には生きてきた背景も関係する
  • 日本のテレビはクイズっぽい。「果たしてどうなるのか?CMの後です!」、ニュース番組のめくりも
  • 正直自分は恵まれていたので、自分が社会問題を語っていいのかな…と思っていた。しかし、弱者の目線ではなく、リディラバみたいに問題を「構造化」することができるんだと思った(伊沢さん)
  • 今、社会問題を考える時、昔の公害問題のようにわかりやすい「大きい敵」がいない
  • 頑張ってきた人ほど自己責任論に陥りやすい
  • 学校を回っていて思うのは、学校に求められているものが多すぎるということ
  • 問題から逃げなければ逃げないほどコントロールできるようになる
  • 「リスクを分析した上で」やらないのと、「なんとなく怖いから」やらないのは全然違う

頑張ってきた人ほど自己責任論に陥りやすいというのはわかる気がする。一方で、恵まれた環境で生きてきたと自覚している人は社会問題を考えることを躊躇してしまうというのもそうかもしれないと思う。でもそうなったら、誰が社会問題を解決できるの?現在の当事者だけでは無理。躊躇してしまうことがあっても、自分の気持ちに素直に従うことが必要なのかもしれない。

 

5月3日

テーマ:「ソーシャルセクターの舞台裏」

ゲスト:青木健太さん(かものはしプロジェクト創始者、現SALASUSU代表)

  • 社会問題には縦と横がある
  • 縦は、自分の年齢が変わった時に直面するかもしれない問題
  • 横は、今起きている問題(自分が絶対に当事者にならない)
  • 社会問題の中にも、共感を得やすいものと得ずらいものがある。これはすごく大きな問題。寄付しようという人数も違う
  • 「自己責任でしょ」という面積がここ20年くらいで増えちゃった
  • 今求められているのはリーダーシップよりもフォロワーシップ。「そうだよね」と言って付いていく人が減っている
  • コロナや震災は新しい問題を作り出しているのではなく、ずっとあった問題を早回しに見せているだけ
  • 社会問題は、やればやるほど多すぎて絶望感。
  • 考える人が増えれば優しい社会になる
  • 「意識高い系(笑)」と言ってくる人は、仲間になれる可能性が高い

フォロワーシップが重要…なるほど~。社会問題と真剣に向き合うことになったとき、あまりの果てしなさと支援者の少なさに、絶望感、孤独感を感じることは相当あるのだろう。それに挑み続けているのが本当にすごい。私も微々たる力だとしても、フォロワーとして考え続けることは辞めないでいよう。

 

5月4日

まとめの回。ゲスト無し。

  • 社会問題を考えていくときレジティマシー(正当性)が大事。発信した人の背中を押してあげるように、いいねするとか
  • 社会問題は敬意をもって話し合わないとだめ。まず相手の話を聴く。100%同じ考えの人も100%違う人もいない
  • 運送業やクイズなど、使い方によっては社会問題の解決にものすごく貢献するものが過小評価されている
  • 人には必ず「思想の系譜」がある
  • エゴを貫き通せば真理にたどり着ける
  • エゴを通すためには「自分が大好きな自分、自分を嫌いにならない」ことが大切
  • 俗人主義(大沼保昭):人は聖人君子ではない、大したことじゃないからこそみんなが考えないとね(超ニュアンス)
  • 属人主義:あの人が言ったことだからOK。という考え方、それはダメ。
  • 猿の道(情動だけで動く)と神の道(物事を冷静に見すぎる)を行ったり来たりすることが大切
  • 対立するものを結びつけるには、主体的な会話しかない。それが相手の主体性を生み出し、妥協点が見つかる
  • 韓国メディアのビッグアジェンダは「民主主義を勝ち取る」ことだった。それができてしまった今、次のアジェンダが見つけられず困っている
  • 日本のメディアが勝ち取ったモメンタムって何かあったかな?

知らない言葉がたくさん出てきた…

 

  • 21世紀最大の問題だと思うことは「意欲格差」
  • 社会に対する無力感、無気力が今ほど大きい時代はないんじゃないか?
  • 「働いていること」以外の社会参画の仕方が今はほとんどない。その方法を作らないと無気力がますます増加するのでは
  • 新しい時代の連帯の仕組みを作る
  • 資本的に過小評価されているのはコミュニティへの所属コスト

なるほどが過ぎる。

 

あまりまとまりのないまとめ

4回だと思ったら5回参加していました。

全体を通して、「意欲格差」の拡大と「無力感」の蔓延を問題視しているということが伝わってきました。

その通りだと思います。私自身、こんな勉強会に参加しているものの、自分を意欲のある人間だとはあまり思いません。「意欲がある」が5「ない」が1だとしたら、たまに4になる3といったところです。

でも生きていくのなら、自己責任論に頼らない、優しい社会で生きたい。「生きててよかったな」と感じられる瞬間が多い方が良い。

 

将来のことを考えるのは正直怖いし気がめいりますが、今向き合っていくことで少しでも良い方向に向かうのなら、無気力でいたくないと思った次第です。こういう想いになれる場所があるということに勇気づけられました!

 

自宅にいる時間が長~くある間に、将来のことついてもうちょっと考えを深めていけたらなと思っています。

まとまりのないメモ書きになってしまいましたが、読んでくださり、ありがとうございました!