316日 現在の「旅への気持ち」と『おくのほそ道』
こんにちは!
みなさんは、今の突然やってきた特殊な状況の中で、何か変化した考え方はありましたか?私は自粛生活が終わりに近づきつつある中、ふと自分の中で起きた変化に気が付きました。その一つ「旅への気持ちの変化」を記録として残しておくことにしました。
旅に出たくて仕方がなかった数か月前
つい数か月前まで、私は旅に出たくて仕方ありませんでした。仕事に忙殺され、このまま狭い世界で生きていくのはごめんだと思っていました。
ここでいう旅に出るというのは、日帰りで箱根に行くとか5泊6日でハワイに行くとかそういうものではなく(それも行きたいですが!!)、「世界一周航空券や(今話題の)ピースボートなどの手段を使って数か月かけて日本ではない土地に行く」、ということです。
ただ日本では、大人になってから「旅に出る」ということについて、「現実逃避」や「自分探し(笑)」といったマイナスなイメージを持つ人が多いように思います。私の周りもそのような雰囲気が漂っていましたし、私自身その考えを否定できませんでした。そのため、旅に出たいと思ってもなかなか一歩が踏み出せず、実現できずにいました。しかし、葛藤を繰り返しながら、旅に出ようという気持ちが今までになく大きくなってきていたのが数か月前の私でした。
コロナによって変わった気持ち
そんな中やってきたのが、コロナです。これによって、旅に出ることはますます難しくなってしまいました。
そもそも海外に行けない。行ったとしても感染した時に対処できるのかわからない。帰ってきてから仕事に就けるかわからない……ただでさえハードルが高かったのに、これまでにはなかった新しい壁が現れたのです。
私の「旅に出たい」という気持ちは落ち着いてしまいました。現実味がなさすぎるからです。ですが一方で、「できたかもしれなかったことをやらなかった」という後悔は残りました。「やりたいと思う時期を逃した」ことについても、本当にもったいないことをしたと思っています。
『おくのほそ道』の序文をヒントに
旅への気持ちが募るとき、いつも真っ先に思い出していたのが『おくのほそ道』の序文でした。『おくのほそ道』はご存じの通り、松尾芭蕉の旅行記です。約150日間の東北・北陸を巡った旅が俳句とともに記録されています。
私は中学校の修学旅行で東北に行ったのですが、修学旅行前、国語の先生が『おくのほそ道』を授業で何回か取り上げてくれました。実際に訪れた東北の景色が、授業で教わった芭蕉の句と重なったときの感動!忘れられません。今も俳句とともにその情景を鮮やかに思い出すことができます。国語の先生、ありがとう。
そんな素晴らしい句が多数詠み込まれている『おくのほそ道』ですが、序文にはこんなことが書いてあります(暗唱のテストをした記憶が!)
まずは原文
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、
去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、
そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、
三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家
表八句を庵の柱に掛け置く。
現代語訳
月日は永遠の旅人であり、来ては過ぎゆく年もまた旅人のようなものである。
川を行き交う舟の上で人生をおくる船頭、馬の口をつかまえて老いを迎える馬借などは、毎日が旅であり、旅をすみかとしている。旅の途上で死んだ者も多い。
私もいつの頃からか、千切れた雲がたなびくのに誘われて、さすらいの旅に出たい気持ちを抑えられず、歌枕である須磨や明石(兵庫県)の海辺をさすらったりした。
去年の秋、ようやく隅田川のほとりにある家(深川芭蕉庵)に戻り、くもの巣を払いのけたりしている内に、年末になった。
春の空にかすみが立ちこめるようになると、白河の関所(福島県)を越えたいと思うようになり、気持ちをせきたてる、そぞろ神がとりついて、狂おしい心境になり、道祖神(旅の神)にも招かれて何も手に付かなくなってしまった。
股引きの破れをなおして、笠のひもをつけかえて、長旅に備えてヒザにお灸を据えたが、松島の月が心に浮かんできてわくわくを抑えられない。
今の小さな住まいは人に譲って、弟子の杉風の別荘にいったん引っ越した。
この小さな草庵も、ついに住民が住み替わることになった。新しくやって来る家族にはお雛様を飾るような小さな女の子がいるらしい。今までの男だけの家とはちがい、ひな祭りを家族で祝う明るい家へと変わっていくのだろう
旅立つ前の挨拶として、この歌を庵の柱に掛けておいた。
…改めてしびれます。旅に出たくてそわそわ、わくわくしている芭蕉の様子、気持ちがびしばし伝わってきます。
この芭蕉の文章は、旅に対して躊躇があった私の背中を何度も押してくれました。手を引いてくれる感じでもありました。この文章があったからこそ、数か月前の私はかなり旅に対して前向きになれていたように思います。
芭蕉と同じ気持ちになったら行こう
これから世界の状況がどうなっていくのかわかりませんが、旅に行けそうな時期はきっとやってくるはず。そのとき、この序文を書いた時の芭蕉のような気持がまた私の中に湧いてきたら、今度は迷わずにスタートを切りたいと思っています。
芭蕉は、旅に出てから5年後に亡くなります。生前最後に詠んだ句は「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」。ここにも旅への想いが書かれていました。