365日後に辞める女

2020年度で会社を辞めようと決意した(けど結局辞めていない)女の備忘録

355日 強烈な夢を持つことについて

今日は朝から、昨日放送された宝塚音楽学校受験生の密着をみていました。

こういう番組に激弱でもれなく泣いてしまうんですが、今回もやっぱり泣きました…

人生をかけて夢を勝ち取りに行く姿を見られる番組、大好きです!!

 

彼女たちがやっている、

強烈な夢を持つことと、

夢に向けてがむしゃらになること。

このことについて今日は書きます。 

 

いかに難しいことなのか

年を重ねるにつれて、この2つがいかに難しく尊いことなのかがわかるようになりました。

特に、「強烈な夢を持つこと」。

 

私は小さい頃、よく伝記を読んでいたので、

大人はみんなマザー・テレサ野口英世みたいに使命を持ってがむしゃらに生きているんだ!自分もそうなるんだ!と思っていましたが

まっったく違った。

 

これができるのは一握りの人だけです。

めちゃくちゃ辛くもあり、幸せなことだと思っています。

(強烈な夢を持つ人は「辛さ⇔幸せ」の振れ幅が、そうでない人より広いと思う)

 

 

なぜ強烈な夢を持てないのか

私は長いこと、そういった強烈な夢を持つ人に憧れてきましたが、

どうやったら「強烈な夢」を持つことができるのかわからなかった。

 

でも、過去を振り返って気づいたのは、

「強烈な夢 候補」=「憧れ」があったときに

あらゆるストッパー(言い訳)を駆使して自分で自分を止めていたということです。

 

例えば、「ミュージカルの舞台に立ちたい」という憧れは「強烈な夢 候補」だったと思うのですが、

憧れを抱いた時に私はストッパーを発動させました。

・今更オーディションを受けても受からない

・落ちたら恥ずかしい

・受かるための努力ができないだろう

・厳しい世界を生き抜くなんて無理

・観劇を純粋に楽しめなくなりそうで嫌だ

・もっと向いていることがきっとある

 

ストッパーで止められてしまったんだから、しょせんその程度の夢だったんだ、

挑戦してもすぐ諦めていただろうと納得してきましたが、

果たして本当にそうだったのか…?

ストッパーが無かったら、私はこの憧れを追いかけていたんじゃないか。

自分で「強烈な夢 候補」をつぶしてきたんじゃないかと近頃思うようになりました。

 

ストッパーは悪ではない

憧れを抱いた時にストッパーが発動してしまうのは、普通のことだと思います。

なぜならストッパーは、防衛本能だと思うからです。

失敗した時に傷つかない、安全な道を選択して生きるための本能。

だから、ストッパーを発動させるのが悪いことだとは全く思いません。

 

でももし、「強烈な夢」を持つ人になりたいのなら、

「辛さ⇔幸せ」の大きな振れ幅を体感したいのなら、

ストッパーを無視するか、へし折るか、つぶす必要があるんじゃないでしょうか?

 

 

私は今世のうちに、「強烈な夢を持つ人」に一度はなりたいです。

 

昨日「私の好きな人」の何が好きポイントなのかを書き出しましたが、

「好きポイント=憧れ=強烈な夢候補」について

一度ストッパーを無視して考えてみます。

 

続く!