コロナ疑惑に焦り過去の自分を省みた話
今週の月曜日、久々に熱を出しました。
仕事中だったのですが、お昼過ぎから頭がぼーっとして全く集中できなくなり、熱を測ったら37.5℃ありました。
ここまでコロナにかからず(かかっていたとしても発症せず)すり抜けてきた私でしたが、「80%コロナだな・・・」と腹をくくりました。
同時に、どうしたものかと頭を抱えました。
というのも、今週は現場での仕事が3つほどあったのです。
行けなくなったら代わりに行ってくれる人を探し、引継ぎをする必要があります。
そこで私が代役を頼める人は、ほぼ一人しか思いつきませんでした。
2個上の先輩です。
とっても優しく面倒見の良い先輩で、引き受けてくれるだろうとは思いました。
しかしここで、大きな罪悪感を覚えます。
コロナにかかるのはもはや仕方がなく、誰も責められないので、かかった(かもしれない)ことへの罪悪感はほぼありませんでした。
では何に罪悪感を覚えたかというと、その先輩がコロナになった時、代わりに仕事を頼まれたのを断ってしまっていたのです。
その時断った理由はいくつかありました。
- その仕事が休日出勤だったこと
- その前の週にも急遽休日に仕事を頼まれていたこと(+仕事のために友達との約束をキャンセルしたこと)
- 久々に会う友達との予定がすでにあったこと
シンプルに言えば、「2週連続で予定をキャンセルしたくない。休んで友達と会いたかった」わけです。
なのでその時は、準備だけ手伝い、当日は私の上司に代わりに行ってもらいました。
今思うと、本当に申し訳ないし情けないです。
当時ももちろん、先輩と上司に相当申し訳ない気持ちはありましたが、友達と会って楽しい時間を過ごせたので、やっぱり休めて良かったなと思っていました。
でも、いざ自分が「コロナになったかも」と思ったとき、
なぜ先輩が大変だったときに「ここは私に任せてください。ゆっくり休んでください」とスッと言えなかったのかと、めちゃくちゃ反省しました。
自分の楽しみと、緊急事態ですごく困っている先輩を天秤にかけて、
自分の楽しみを取った私。
本当に同情する心がない、人間力がないんだな・・・と落ち込みました。
先輩が私に仕事を断られた時どう感じたかを、同じような状況になってようやくしっかりと想像することができたのです。
私には仕事を断る権利があったと思いますし、仕事を引き受けていたらそれはそれで後悔することが出てきただろうなと思います。
なので、過去の自分の判断を全否定はしません。
ただし、また、自分の利益と人助けを天秤にかける場面に遭遇したら、もっと他人への共感力、想像力を働かせてから判断しようと思います。
今回の学びです。
なんだか小学校の道徳の授業みたいになってしまいました。
当たり前のことなんでしょうけど、頭でわかっていても、行動を起こすのは中々難しいんですよね…
結局、PCR検査は陰性、一晩寝たら翌朝にはすっかり元気になっていたのでただの風邪だったようです。心底ほっとしました…
前日寒空の下でおしゃべりしたのがいけなかったかな~…
季節の変わり目、皆さんも体調にお気をつけて!
そういえばこの間、フランクルの『夜と霧』を読みました。
収容者たちの中で、他の収容者に優しくできる人とできない人がいると。過酷な状況の中で、私は人に優しくできるのかな。今のまま行くとできない気がします。