365日後に辞める女

2020年度で会社を辞めようと決意した(けど結局辞めていない)女の備忘録

334日 「意識高い系」という呪いの言葉への対処法を考えてみた

こんばんは。

今週は、出社しなくてはできない仕事が一段落したため、家にいる時間が本当~に長い一週間でした!

 

私は時間を持て余すと「社会問題を考えてみよう」と思い始める傾向があるのですが、こんな状況ですのでまさに近頃その傾向が顕著です!社会問題についての意見交換を無料公開しているオンライン会議を見てみたり、気になることを調べてまとめてみたりしています(この気持ちが今回いつまで続くのかは不明です…笑)。

そんなことをしている中、今までもずっと気になってきたモヤモヤに一度自分なりの結論をつけておこうという気持ちになり、この記事を書くことにしました。

 

 

「意識高い系」という呪いの言葉

私は「意識高い系」という言葉が苦手です。

というのは、私が本当に意識の高い人間だから、とかそういうわけではなく(むしろ私が心の中で思ってしまうこともあります)、言った側、言われた側双方のやる気を吸い取る呪いの言葉だと感じるからです。笑

 

例えば、私が「社会問題を考えている」ことを人に話すと、「意識高いね」とちょっと引き気味に言われることがあるのですが、なんか馬鹿にされたような気になるし、そんな風に気にしてしまうこと自体にも嫌になります。

反対に私も、「あの人たちは意識高いな~」と、若干苦笑いみたいなテンションで思ってしまうこともありますが、そんな時には、「嫉妬してるだけじゃん…」と思ってへこみます…。

 

なので私は「なるべくこのワードを使いたくないし、使われたくない、少なくともうまく付き合いたい」と思い、そうするためにはどうすれば良いのかを考えてみました。

 

呪いの言葉の誕生

そもそもこの呪いの言葉はいつ頃生まれたのでしょうか?

今年25歳になる私の記憶では中学校時代には使われていたような気がしていたのですが、調べてみると、起源は2000年代半ばの就活用語だったようです。

そして驚いたのですが、当初は今のように人を揶揄するためのネガティブな言葉ではなく、本当の意味で「能力が高く、知識も経験も豊富な学生」を指して使われていたそうです。

 

「意識高い=ダサい」という構図が生まれたのはなぜ?

それが今のように揶揄する言葉として使われるようになったのは、Wikiさんによると

2008年に発生したリーマン・ショックの影響により学生の求人が減ったことや、TwitterFacebookなどのサービスが日本に上陸したことで、目立ちたがりの学生が実際に目に着くようになった。

2010年頃から「見掛けは良くても成果が無い」とネット上で批判され始めるようになり、瞬く間に批判的な意味として定着するようになった

となっています。ざっくりですみません。

 

おそらく、就職活動がスムーズにできなくなる中で、誰もが焦りや他者への嫉妬を抱えやすくなっていたのだと思います。

そんな中、本来の意味の「意識の高い学生」になろうと奔走する人たち(Wikiの「目立ちたがりの学生」)はまだ中途半端で中身が伴っていない状態だったため、何もしていないけど何かしようと焦る人達にとって、格好の餌食だったんじゃないかと想像しています。

 

そのころの「意識高い系」の中には、実際にいけ好かないやつもいたと思います。無駄に偉そうとか、よくわからないことを自己満足でやっているとか。

ただ、言う側にはそのいけ好かなさを大きく上回る、圧倒的な「焦り」「嫉妬」「羨望」があったと思うんです。

…どうしよう、あいつらすげえじゃん、自分たちよりちょっと頑張ってるじゃんという気持ちがきっと心の隅っこにあったんじゃないでしょうか。

そんな、焦り、嫉妬、羨望、引きずり下ろしたい気持ちが煮詰められて完成してしまったのが今使われている「意識高い系(笑)」という言葉なのでしょう。 

 

「意識高い系(笑)」の弊害

言葉の誕生を振り返ってみると、ますますこの言葉が「呪いの言葉」のように思えてきました。

 

「意識高い」以外にも、「痛い」「だまされてる」「バカ」…このような頑張る人を揶揄する言葉をリアルの世界でもネット上でも頻繁に見かけます。

 

こんな言葉が使われているのなんて気にしなければいいんでしょうけど、気にせずにいられるのは、我が道を貫く本当にすごい人か、かなり鈍感な人だけ だろうと思っています。

 

多くの人はこう言われると、ちょっとドキッとしちゃうもの。図星かも…と思ってつい萎縮しちゃうものです。

言った側はというと、一瞬はマウントを取れた気持ちになり優越感に浸れますが、その効果はあっという間に消え、結局は何もしていない自分が残り、虚無感に襲われるというわけです。

 

なので、こういった呪いの言葉には何かしら対策を打っておきたいものです。

 

 呪いの言葉への対策

「意識高い系」指さす人と指される人が歩み寄るには?

ここまで読むと、「意識高い系じゃん(笑)」と指さすほうが悪いと受け取られてしまうかもしれませんが、言われる人が全員被害者だとは思っていません。

そう言われてしまう理由もいくつかあるのだとと思います。

  1. 極めていない、中途半端
  2. 自己完結、自己満足している
  3. 偉そう
  4. 伝わらない言葉を使ってくる

 などなど、、、

「意識高い系」と言われる人によくみられるこういった特徴は、友達になりたくない人物像とも言えるように感じるのですがどうでしょう。

 

つまり、呪いの言葉「意識高い系」と戦うには、ただ使わないようにすれば良いのではなく、双方の歩み寄りが必要だということです。

 

双方が、「自分を振り返り、相手の気持ちを想像する」という作業をするのが良いんじゃないかと考えました。

 

 「自分を振り返り、相手の気持ちを想像する」

例えばこんな感じです。

  • 意識高いね(笑)と言われた時:

相手の気持ちを想像=「あの人、本当は私のことが羨ましいのかもな」とショックを和らげる

自分を振り返る=「私の中身がないのかも?」プチ反省会を開く

 

  • 呪いの言葉を発しそうになったとき:

自分を振り返る= 「自分、本当は嫉妬してるのかも」「どこに嫉妬してるのだろうか」自己分析

相手の気持ちを想像=「まだまだひよっこだけど頑張ってるのよ」大人の余裕を持つ

 

こんな風にして、呪いの言葉に対処するのはいかがでしょうか?

 

まとめ

「意識高い系」という言葉への対処法を考えましたが、皆さんはどう思われたでしょうか?

この言葉はなくならないだろうと思いますが、もうこれ以上頑張っている人を揶揄するような呪いの言葉が増えるのは良くないと感じております…むなしくなるだけなので!(笑)

 

確かに、時には本当に口先ばかりのいけ好かないやつにも出会うことでしょう!

でも一方で、頑張り始めたばかりでまだとても未熟な状態の人もこの世にはたくさんいるということ、人は変わるということを心にとめて、寛容にいられたら、幸福度は増すはず。

 

頑張る人を見守って応援して、自分も何かを頑張るときには、見守られ応援してもらいたいものです!!

私はそう思います。 

 

 長くなりましたが以上です!