283日 ばー、ありがとうね。
※親族が亡くなった話ですので、ご注意ください
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昨日、母方の祖母が亡くなりました。享年86歳。
ホームに入っていたのですが、おとといのお昼は私の母とビデオ通話をし、おやつの時間にデザートを食べ、いつも通り就寝。その後ホームの人が見回りをしていて亡くなっているのを発見してくれました。足は弱っていましたが、病気はしておらず頭も良く働いていて元気でした。
いわゆる「ピンピンコロリ」で親類が亡くなった経験は初めてです。すごく悲しいけど、嬉しいような。複雑な気もち。
心の準備ができていなかったのは正直なところです。あと2年くらいは生きていてくれるんじゃないかと思っていたので。
きっと本人も明日また起きるつもりで眠りについたんだと思います。
満足な人生だったかな?
最後の方は直接聞けなかったけど、大学生のときにインタビューの課題で質問したことがありました。
当時は祖父に先立たれ一人暮らしをしていましたが、娘2人、孫3人、ひ孫2人がいて、夏休みやお正月には親戚が集まっていました。普段は兄弟夫婦がよく家庭訪問をしているような環境でした。インタビューでは、聞いてもいないのにことあるごとに「本当に幸せ。感謝。」と繰り返し繰り返し言っていたのを覚えています。
ばーは12歳のころに終戦を迎えました。福島に疎開し、終戦後は服飾の学校に通い、呉服屋で働いたと言っていました。若かったころの話をもうちょっと聞いておけばよかったなと思っています。
孫の私から見て母は、祖母に対して厳しい面もけっこうあったと思います。
足を骨折して歩くのが難しくなっても、リハビリをスパルタ指導していました。一時期同居をしたとき、軽く鬱状態のようになっていたばーはよく弱音を吐いていたので、それを聞かされることにもうんざりしていたようでした。よくケンカしていました。
でも、孫の私には想像できない気持ちが、娘である母にはあったのだと思います。そして、母の力がなければ、ばーは今まで元気にいられなかったし、綺麗なホームで最後の日々を過ごし、ホームでおいしいデザートを食べて眠って亡くなるなんて最期にはならなかったと思います。伯母は私の母ほど積極的にばーの面倒を見ていなかったし、ばーの兄弟も高齢で遠くに住んでいたので、ここ3年ほどは様々な責任を母が負っていました。もうちょっと私も、母の精神的なサポートができたんじゃないかと少し後悔しています。
厳しかったけど愛があったと思うよと電話で伝えたら、母は泣いていました。
ばーが亡くなって、私のことを孫として、無条件に可愛がってくれる存在は誰もいなくなりました。祖母の前に亡くなった、父方の祖父母と母方の祖母の顔や思い出も浮かんできて、昨日は突然涙が出てきたりして困りました。これからもそういう瞬間が訪れると思います。
おばあちゃん、おじいちゃん、じー、ばー、たくさんの愛をありがとう。
声やエピソードを思い出せなくなっても、私は受け取った愛を一生忘れません。
思いつくまま、今の気持ちを書きました。気持ちが整理できてよかったです。お付き合いありがとうございました。