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2020年度で会社を辞めようと決意した(けど結局辞めていない)女の備忘録

285日 ルッキズムについて思うこと

少し前のことになりますが、ルッキズムを批判した水原希子さんのSNSの投稿が話題になりましたね。※「ルッキズム(Lookism)」人を容姿や見た目で差別したり、偏見を持ったりすること

私も最近ルッキズムに関して考えることがあったので、水原希子さんの投稿を道しるべにしながら考えをまとめてみます。

 

 

水原希子さんの投稿

インスタグラム上の企画「最も美しい顔ランキング2020」に無許可でノミネートされた水原さんが、インスタのストーリーにルッキズムについて考えを書きました。

「自分が知らない間にルッキズム/外見主義(容姿によって人を判断すること)の助長に加わってしまっているかもしれないと思うと困る。見た目で人を判断するのは絶対違うと思うし、そもそも一番美しい人なんて選ぶことは不可能」

 

「このランキングによって、偏った美の概念やステレオタイプな考えを広めて欲しくない。美の基準や定義なんて、物差しが違うから本当に様々」

 

「いくら容姿を綺麗にしていても、人に優しくなかったり、意地悪な人は美しい人とは言えないと思うのです。私は心が美しい人が美しい人だと感じます」

https://www.buzzfeed.com/jp/hanashimada/no-to-lookism

 

一部抜粋なのですが、ここに書いた考え方には私もおおむね賛同しました。ちょっと違う考えを持った部分については後で書きます!

ただ同時に、「美」という概念がある限り、「美」を職業にしている人がこういった対象から外れるのは難しいと感じました。

そして、「美」とはどのように作られるのか?ということと、「美」の必要性について考えました。

 

「美」とはどのように作られるのか?

美しさを崇拝、美しさを愛でるというのは人間が持つ本能の一つだと思います。いつの時代も「美」はもてはやされてきました。かく言う私も、美しいアイドルや芸能人を見るのは好きです。

そして、「美」の基準は変化しつつ広がってきていると感じます。それは多くの情報に若いころから触れられるようになったことが大きいのかもしれません。「美」は刷り込みだと思うので、様々な「美」の情報を刷り込まれているうちに、受容できる「美」の範囲が広くなっているのではないかと考えています。そして各々が、自分の思う美しさを発見している時代になってきていると思います。

例えば、一昔前までは「美形の目は二重!」が鉄則でしたが、今はKpopの影響もあってか「一重も素敵!」ってなっています。メイクをする男性が今は一定数いますが、一昔前まではかなり特殊な存在でした。

なので水原希子さんの投稿にある「偏った美の概念やステレオタイプな考えを広めて欲しくない」という文に関しては、あまり心配いらないのではないかと私は感じています。

 

「美」の必要性

美という概念はなくならないです。でもそれは差別を生むだけの概念ではないと思っています。憧れや活力を生み出す概念でもあると思うのです。

(各々が思う)あの美しい人のような見た目になりたい!だから頑張って筋トレする!とか、メイクの勉強する!とか。美しい花を見て幸せな気持ちになるように、美しい人を見ているだけで幸せな気持ちになるとか…私も、アイドルたちの健康的に筋肉のついたスタイルに憧れ、最近筋トレを始めました!(笑)

美の基準が多くなっていることもあってか、美しいと思うものが人によって驚くほど違うというのも近頃わかってきました。それも含めて、美について考えるのは楽しいです。

 

外見の美は結構作れる

もう一つおまけで言いたいことはこれです。

メイクや髪型、服装で、外見はかなりどうにでもできる。今はYouTubeで無料でメイク講座を観られるし、プチプラコスメでも十分なメイクができます。小中学生のころに美人と認識されていなかった子が成人式でものすごくあか抜けていたときは、「こんなに人って変わるんだ!」とびっくりしました。

 

つまり、「美」をあがめ、楽しむのは全然OK。問題は、自分の「美」に当てはまらない人を貶めることというのが私の考えです。自分と同じ「美」の概念に当てはめて、勝手に人を評価しようとするなということです。

 

皆さんはどう思われますか?