325日 「#検察庁法改正案に抗議します」にドキドキハラハラする
昨日のTwitterで長くトレンド上位にあった「#検察庁法改正案に抗議します」。今まで政治についての発信がほとんどなかった学生時代の友人のアカウントからも発信されているのをたくさん見ました。
この動きを見て、私はドキドキハラハラしました。
ドキドキしている理由
今回のムーブメントに対して「これはすごいぞ~!」と前向きにドキドキしたのはこんな理由からです。
①政治的な意見を発信する若者が多くいることがわかった
多くの若者にとって、これがわかったのは勇気づけられることだったと思います。私の場合は、自分と距離の近い「フォロー・フォロワーの関係」である友人たちが、続々と発信していることにけっこう驚きました。今まで政治的な意見を心の中で持っていても、日本の慣習から表に出せていなかった人も多くいたのかもしれません。「なんだよ、無気力じゃないじゃん」と思いました。
※若者というのは、10代~20代くらいを想像しています
②日本では政治の話がタブー視されている、芸能人からの発信が多かった
これが一番のドキドキだったかもしれません。今の時代、「拡散力=人を動かす力」とも言えると思います。拡散力の高い、いわゆる芸能人やインフルエンサーと呼ばれる人たちは、自分たちの持つ力をもっといろんなところに使ったらいいのにと考えてきました。社会問題に関する発言をなぜしないのか不思議でした(ファンたちに受け入れられないと思っているからなのでしょうが…)。なので、それが今回バシバシ見られたのが個人的には嬉しかったです。さらに、芸能人が発信することについての意見も飛び交っていたのも良かったと思っています。
ハラハラしている理由
一方で、とても心配になったこともありました。
❶何を根拠にしているのかわからない意見が多い
「#検察庁法改正案に抗議します」のみの投稿や、署名運動のURLをただリツイートするなど、とりあえず波に乗ってみたかのような投稿も多く見かけました。一言でいいから自分の意見をつけて投稿してくれればな…と感じました。意見がなければ、②に書いたような芸能人やインフルエンサーなどの、「権威付けされた情報」にただ乗っかってしまってるのではないか?一度Twitterを閉じて、ニュースサイトや新聞社のHPを確認したのか?と、モヤモヤしてしまうからです。空気に流されて乗っかっているだけのだとしたら、それは、震災後意図せずにデマを流しているのと同じような状態なので賛同もできません。
きゃりーぱみゅぱみゅが「#検察庁法改正案に抗議します」とツイートしたり、拡散されている画像をリツイートしたのは、②の観点からとても意味のあることだと思いました。ただ、自身の意見がなかったので何を根拠にしているのかがわからないことが気になりました。今は一連の投稿を消してしまっていて残念に思っているのですが、消した理由の中に、一連の投稿をした理由も書いてありました。それを元から書いておいたらまた状況も変わっていたのではないかなと思います。
❷フィルターバブルに閉じ込められている危機感を覚えた
ここまで偉そうに色々書いてきましたが、自分に対しても、今回かなり危機感を覚えました。なぜかというと、自分がフォローしている人は軒並みこの運動に賛同していたからです。なので私には、一見日本中がこの運動に賛同しているかのように思えました。しかし世の中には賛同していない人ももちろんいます。一度、そういった意見を見ないまま何かに操られたかのように抗議の署名をしそうになり、「危ね~!」と思いとどまりました(笑)
私のようにフィルターバブルの中にいる人、さらにその意識がない人はけっこう多いんじゃないかな…と思っています。
ちなみに私の考え
これだけ書いたんだから私の意見も書きます。
私は「#検察庁法改正案に抗議します」に賛同しています。理由は二つ。
まず、ここまで国民の関心を集め問題視されているにも関わらずすんなり法案が通ってしまったら、(今までは良く知らなかった)私でさえ検察に対して疑心暗鬼になり、政府のやることもいよいよ信用できなくなる気がしています。そうなるのが不安だからです。
また、大勢の人が発言していますが、今真っ先に決めなくてはいけないことではないと思うからです。コロナ騒ぎを収めてからでは間に合わないのでしょうか。
「政権への捜査を防ぐための法案だ」という意見をよく目にしますし、そうだとしたら大問題ですが、正直本当にそうなのかよくわかっていないため、理由には入れませんでした。
※主に参考にしたのは、以下の記事です。
政治について発信するきっかけになったのは素晴らしい
SNSが発達した今の日本で、芸能人や若者からこれだけ政治について発信があったことはなかったと思います。そのきっかけとなったのはとても有意義だったのではないでしょうか。発信した友人たち、すごいよ!!
一方、自分も含めて、こういった発信に対する受信の態勢があまり整っていないと実感しました。特に芸能人の政治的な発信が珍しかった分、その衝撃をもろに受けているようにも感じました。これからは、まず受信の態勢を整えて、より意味のある発信につながれば良いと思います。
この動きによって法案が見送りになれば最高なんですけどね。私たちにも政治を動かせる(かも)という実感を持つ機会になればいいと思っています。
間違いがあったらご指摘ください!
327日 いつかこの曲たちと一緒にこの時期を振り返りたい
95%家に引きこもっていたGWが終わり、2日間出社してきました。たまには仕事も良い、いつも週3くらいだといいのにな~と考えたりしていました。笑
本当なら今日は、赤坂大歌舞伎「怪談 牡丹燈籠」を母と観に行く予定でした。私は演劇好きなのですが、現在の観劇の予定は当たり前ですが0です。次々と公演中止に追いやられ、再開のめども立たず、大打撃を受けているエンタメ界。今日は私の愛するエンタメ、その中でも好きな音楽について語ります。
早くこの曲たちと一緒にこの時期を振り返れることを祈って。
今私が聴きたい音楽4選
♪ 哀れな人間 They're Only Human 『デスノート THE MUSICAL』より
あの「デスノート」のミュージカルから1曲選びました。
このミュージカル、ストーリーは原作をかなりぎゅっとしてアレンジしたものになっていてツッコミどころもあるのですが、音楽がとにかく素晴らしいんです!
素晴らしい曲が数多くある中選んだこの曲は、死神リュークとレムが、人間界を見下ろしながら歌います。初めて聴いたときには特に刺さらなかったのですが、聴くたびに魅力が増す不思議な中毒性のある曲です。
今なぜこれを聴いているのかというと、歌詞に理由があります。
所詮人間なんて 指をこぼれる砂を
掬い続けて
報われると信じながら嘆く
(中略)
所詮その命 死神の手の中
哀れな人生
見てられない
退屈すぎる
これじゃ気が滅入るばかりだ
人間の命を奪うことができる死神目線の歌詞なので、人間が夢見て、努力し、愛し、憎み合ったりすることがすべて無意味に見えている。
こんな希望ゼロの歌詞ですが、「どうせ死神の手の中にある命なら色々やっちゃえばいいじゃん」と背中を押されることもあれば、「そうだよね、全部無意味だし休も」と休息の理由になることもあり…なぜか自己肯定感を上げてくれる曲です(笑)今聴くと、できないことだらけでモヤモヤしている気持ちがすっきりします。不思議だな~~
再々演だった2020年版の音源を貼っておきます!
♪ 僕の願い 『ノートルダムの鐘』より
言わずと知れた名曲。
ノートルダム大聖堂の鐘付き塔に閉じ込められ世界から隔離されているカジモドが、外の世界を眺めながらその想いを歌います。今、カジモドの気持ちが実感を伴って伝わってきますね…切実な気持ちが希望いっぱいに歌われる本当に素晴らしい曲です。日本語版も英語版もどちらも良い。
♪ ひかりふる路 『ひかりふる路(みち) 〜革命家、マクシミリアン・ロベスピエール〜』より
私は大学の入学式で同級生にDVDを借りてから宝塚歌劇にドはまりし、早朝から当日券に並んだりもしていました。宝塚の素晴らしさは何といってもその華やかさ。舞台を観ると、冗談ではなく現実を忘れます。私夢の世界にいる!!!と本当に感じます!!そして、芸を極めるために不断の努力を重ねる、強く美しい女性たちの姿にいつも励まされるのです。
2017年の雪組公演、宝塚の十八番、フランス革命を描いたオリジナルミュージカルから選びました。理想に燃えるロベスピエールが歌う、生命力に満ち溢れた曲です(期せずして、デスノートと同じ作曲家の曲を選んでいました!)
自由のために人は生まれ
自由であることをやめることはできない
本当の自由 手にする日まで
ともに進もう ともに歩もう ともに歌おう
明日へ続く このひかりふる路を
いやぁ、もうとにかく、生きよう…
本当は舞台映像を載せたかったのですが、フルがなかったので制作発表の映像です。
♪ 46億年LOVE アンジュルム
モーニング娘。をはじめとするハロプロアイドルの中の人気グループ、アンジュルムのヒットソングです。初めて聴いた時は衝撃を受けました。世界を包み込む大きな愛を、底抜けに明るくパワフルに歌い踊って伝える彼女たちに、ものすごいパワーをもらったのを覚えています。
ピリピリする世の中だけど、分断するのは辞めようや。まっとうに暮らしていこう。「作ろうまばゆい愛の時代」!!なんか泣きそうになっちゃいますよ私は…!
私の今聴きたい曲4選は以上です!みなさんの「今聴きたい音楽」、気になります。
エンタメは生きる源
選曲からもお分かりの通り、私はミュージカルが大好きです。さらに仕事で演劇番組を担当させてもらった関係でストレートのお芝居の面白さにもめざめました。ハロプロアイドルも好きですし、お笑いも大好きです。そんなエンタメ界がこのコロナで大打撃を受けている状況が心配でしかたないです。
エンタメの力をなめてはいけない。絶対に!
エンタメは時に、報道や金銭的援助だけではどうにもできない部分を補っていること、多くの人の生きる糧となっていることを忘れてはいけないと思います。大きなお金を動かせる政府には、自粛期間を乗り越えられるだけの補償をしてほしい。具体的なことが言えず申し訳ないのですが…。
私も事態が一段落したら、できるだけたくさん現場に行きたいです!
330日 友人二人にお悩み相談 「この国で生きていくことについて」
この連休、友人二人に、この国で生きていくことについてのお悩み相談をしてもらいました。コロナへの対応や地震で、日本の前途多難な未来しか見えなくなっていたからです…!
2人の考え方は、昨日までの私とは違っていて、それぞれ面白いと思ったので共有します。相談した結果、「この国で生きていく」上での私の考えも整理できました!
1. 友人Aの考え方
友人A:25歳、大学院卒、理系、大企業勤務、同性パートナーあり、英語中国語ペラペラ
- 日本の未来について:日本の明るい未来が見えないというのは私も思うな。
- 将来日本にいたいかどうか:少なくとも、同性同士で生きていくには不利益が大きすぎる。今、この時代にここで生まれてしまったというだけで黙って不利益を被り続けるのは避けたい。耐える必要はない。暑ければ冷房をつけていいし、寒ければ暖房をつけていいんだよ。
- 日本の状況を変えたいとは思わない?:変えることも大事。世界に住みやすい国が増えるというのは嬉しいことだと思う。でも自分にそこまでの愛着はない。
とってもクールで現実的な考え方
さすが理系の才女とでもいうべきか、冷静で現実的な考えを話してくれました。彼女は3か国語を完璧に使いこなせますし、大企業から引く手あまたの超優秀な人材です。海外転勤もできるため、日本にとどまらないという選択が全く難しくない環境にいます。だからこそ、これだけ客観的に、自分の置かれた環境を見て、将来のことを判断できるのだと思います。
「耐える必要はない」という言葉は一理あるなと思いつつ、誰もが簡単に環境を変えられる状況にあるわけではありません。でも、そんな日本の現状を変えたいとまでは彼女は思っていないようでした。「自分とパートナーが安定した生活をつかめれば良い」という考え方が根本にあるように感じました。
話していて思ったのは、私は自分で思っているよりも、この国に愛着があるんだなということでした。どんどん嫌いになっていると思っていたのに、まずはどこでもないこの国が住みやすくなればいいと思っていることを自覚して驚きました。
2.友人Bの考え方
友人B:24歳、大学卒、文系、契約社員、独身、英語ドイツ語少々
- 日本の状況を変えたいとは思わない? :変わらないでしょ。これだけ言っていてもサーフィンをしに行く人はいるし、山梨に帰ってしまう人もいる。しかもそれは一人二人の話じゃない。そういう人たちは天災みたいなもので、変えようとするのは無理。
- どうすれば良いと思う?:自分の周りを自分が正しいと思う環境にするしかない。自分の中に矛盾があったら行動すればいい。
ドライで諦め半分だけど現実的
なるほどと思うことがたくさんありました。一見諦めが大きいように見えますが、自分の周りの環境は自分で変えていくという意志があるということに少し感動しました。確かに、順番としてはこれなのかもしれないな…先に自分と、自分の近く、そのあとに知らない人たちのことを考える。かなり影響を受けました。
お悩み相談を経て思ったこと
まずは自分の身は自分でどうにかしなくては
2人の言葉を聞いて思ったのは、「今すぐ何かあったときにどうするかをいったん考えておこう」でした。
悲しくて腹が立つと同時に、以前の自分を反省すべきことでもあると思いますが、今の国が何かしてくれるのを何もせずに待っていては間に合わない。最近強くそう思うようになり、二人の言葉からも同じような想いを感じました。
自分の身は自分で守らなくては。自分でどうにかしなければ。自分をさっさとどうにかできれば、周りをどうにかしていくことを考えられるので最高です。自己責任論は提唱したくないので、まずは自分に余裕を作る必要があると考えました。
結局はどのように生きたいのかですね。自分がどのように生きていきたいのかを考えれば、そう生きるために何が必要かわかります。それを国ではなく自分でどうにかしていくようにシフトチェンジしていかないといかんのだな~と思いを強めました。今は本当に良い機会です。
生きるための指標を作ってみた
「こうなっていなかったら生きていても仕方がない」。反対に、「こうなるように何とかする」という、私の生きるための指標を作ってみました。
第ゼロ段階
- 自分の衣食住を確保(物理的に生き延びる)
- 自分の身体的健康を確保
何が起きるかわからない人生。ここまでは運にもかかっているかもしれない。一部を天に任せつつ、防災セットをせめて自宅にだけでも置いておく、家具が逃げ道をふさがないようにするくらいはしておこう。
第一段階
- 自分が孤独ではない
- 家族が幸せでいる
- 友人が元気でいる
ゼロ段階を無事突破したら、孤独が一番怖いと個人的には思う。何かあったときに連絡を取り合える数名の友人と、ご近所とのつながりを持っておこう。そして、家族が幸せでいるために、やはりお金は必要になってくる。どうやってお金を稼いでいくのかを真剣に考えないと…!1年後には仕事を辞めようと思っているのだからなおさら。
第二段階
- 知らない人たちの孤独を減らし、幸せを増やす
自分と、自分の近しい人の安全が確保できたら、そのあとは知らない人たちのことを考えたい。良い環境を縦の方向に(個人に対して)どんどん伸ばすより、横の方向に(多くの人に対して)伸ばしていきたい。
まとめ
この国で生きていくために、まずは行動の基盤となる自分。それから自分に近しい人から幸せにしていくところから始めたいと思います。誰もが、自分と、自分の近しい人の幸福を確保するために頑張ることができれば乗り越えていけるのかな…という考えです。
ただ、ここで苦しむことになるのは、おそらく知らない他人とのつながり方です。危機的状況に置かれれば、誰もが「我先に!」と他人を押しのけたくなるものだと思います。冷静でいなくてはいけないとわかっていても、誰かの自分勝手な行動を見たら、理性的でいるのが馬鹿らしくなることもあるはず。
そんなときは、理性的な心を持った人を探し出し、つながっていくしかないのかもしれません。
社会問題を考えること、関心を持つ人を増やすことは長期的に見てものすごく大切なことには間違いないです。でも、まず自分が生きるうえで最低限求めたいものは何か、それを確保するにはどうすれば良いかを考えて、安心しておくことが必要なのかもしれません。
自分がほっと出来てから、考える範囲をどんどん広げていければ良いんだというのが、今の私の結論です。
皆さんはどう思われますか?
331日 リディズバ感想(回ごと)
昨日は「リディズバ」のざっくりとした感想を書きました。今日は参加した4回について、回ごとに感想を書いていきます。
概要ではなく、個人的にぐっと来たところのメモになります。取り違えている部分があるかもしれませんので、きちんとした概要(アーカイブス)を知りたい方はリディラバのFacebookをチェックです!
https://ja-jp.facebook.com/Ridilover
いつにもまして雑記感が強くなってしまいましたが、悪しからず…
4月29日
テーマ:「コロナが生んだ孤立の乗り越えかた」
ゲスト:堀潤さん
元NHK職員だったこともあってか、放送について結構言及されていた。
- 第二次世界大戦後の日本とドイツのメディアの対応の違い
- ドイツ→「なぜ私たちが」ヒトラーと虐殺を選んでしまったのか、内省した
- 日本→メディアの体制は変わらず。きちんと検証されてきたのか?
- 「輿論」と「世論」の違い
- NHKは公共放送のはずなのに、「天下の」「お上の」とよく言われる
- 放送と市民は、相互監視ができて、パートナーとなることが理想
輿論と世論の違いは聞いたことがなかったので勉強になった。コロナ禍では、個人の責任が伴った「輿論」ではなく、民衆の感情や気分を指す「世論」ばかりが盛り上がっていると感じる。特にSNS上で。
佐藤 卓己「民意のリテラシーにむけて―「世論の輿論化」を考える」|慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)
- 「世の中捨てたもんじゃないな」という気持ちが根底にあって活動している
- 当事者に対して「頑張ろう」「負けないで」ではなく、「しんどいですよね」「どうしましょうかね」と言いたい
- 余力があるときに「大丈夫?」って声をかける
- 「不安、孤独」と言っても良いんだよという雰囲気を作る
- 大きい主語(政府は~、中国は~など)は、差別やレッテル貼りになることもあるが、問題を発見させるためには使う必要がある
- それを徐々に小さい主語にしていかないと問題は解決できない
- 大きい主語を使った主観的表現(オピニオン、イメージ)=ファクトではない!
- 大きい主語はリスクを背負いたくないときに使ってしまいがち
「世の中捨てたもんじゃないな」という気持ちが根底にあるというのが良いなとしみじみ思った。堀さんは、基本的には世の中に期待せず生きているそうだが、そんな風に思える瞬間があるから今でも活動していると。
宮崎駿監督も引退の際「この世は生きるに値する」と若者に伝えることが根幹にあったと話していたが、それにかなり似ていると思う。こういう気持ちがないと、信念をもって行動し続けるのは難しいのかもしれないと思った。そんな瞬間を世の中に増やせたら最高。
宮崎駿監督「この世は生きるに値する」 引退会見の全文|アート&レビュー|NIKKEI STYLE
4月30日
テーマ:「あつまらない教育は日本の教育問題を解決するのか」
ゲスト:園利一郎さん(学校法人角川ドワンゴ学園)
- 学校の本質的な価値とは?「友達に会いに行くこと」ではないか
- 居場所を作る、社会的孤立を回避することでもある
- 貧困などの社会問題へのアプローチもできる場
- 何もなければ会話すらしなかった人が存在して顔を合わせられる
- モチベーション(主体性)の格差がものすごく開いている気がするが、オンラインだと格差は開くのではないか
- 誰にでも心の心地よい領域がある。それが抑圧されない世界であると良いね
N高に立ち上げからかかわっている方が、学校の本質的な価値が「友達に会いに行くこと」というリアルの世界にあると言っていたことが意外だった。でもその通りかも。学校に行くことで自分の居場所が見つけられるのなら行った方が良いし、そこにないのなら行かなくて良い、そんな環境になるのが理想なのではないかな。
- フィルターバブルが社会の分断をかなり作ってしまっている
- 興味が狭い範囲に深くさせられていて、ディスカバリーがしにくくなっている
- これとこれがつながっていたんだ!という発見があるようなレコメンド機能があれば良いのにな~
- 価値観を固定させないこと、移動させる。パラダイムシフトを起こす
確かに~!!自分の考え方はフィルターバブルにすごく影響されてるんだろうな…価値観を固定させず、柔軟な思考を持っていたい。自分で発見しにいかないとダメなんだな。
5月2日
テーマ:「クイズ王なら社会問題のポイント、すぐにわかるはず!?」
ゲスト:伊沢拓司(QuizKnock CEO)
- クイズにすると一回能動的に考えるようになるので、知識を伝えるのに使える
- 一方でクイズは暴力的。「正解(答えられる)/不正解(答えられない)」で切り分ける。時には生きてきた背景も関係する
- 日本のテレビはクイズっぽい。「果たしてどうなるのか?CMの後です!」、ニュース番組のめくりも
- 正直自分は恵まれていたので、自分が社会問題を語っていいのかな…と思っていた。しかし、弱者の目線ではなく、リディラバみたいに問題を「構造化」することができるんだと思った(伊沢さん)
- 今、社会問題を考える時、昔の公害問題のようにわかりやすい「大きい敵」がいない
- 頑張ってきた人ほど自己責任論に陥りやすい
- 学校を回っていて思うのは、学校に求められているものが多すぎるということ
- 問題から逃げなければ逃げないほどコントロールできるようになる
- 「リスクを分析した上で」やらないのと、「なんとなく怖いから」やらないのは全然違う
頑張ってきた人ほど自己責任論に陥りやすいというのはわかる気がする。一方で、恵まれた環境で生きてきたと自覚している人は社会問題を考えることを躊躇してしまうというのもそうかもしれないと思う。でもそうなったら、誰が社会問題を解決できるの?現在の当事者だけでは無理。躊躇してしまうことがあっても、自分の気持ちに素直に従うことが必要なのかもしれない。
5月3日
テーマ:「ソーシャルセクターの舞台裏」
ゲスト:青木健太さん(かものはしプロジェクト創始者、現SALASUSU代表)
- 社会問題には縦と横がある
- 縦は、自分の年齢が変わった時に直面するかもしれない問題
- 横は、今起きている問題(自分が絶対に当事者にならない)
- 社会問題の中にも、共感を得やすいものと得ずらいものがある。これはすごく大きな問題。寄付しようという人数も違う
- 「自己責任でしょ」という面積がここ20年くらいで増えちゃった
- 今求められているのはリーダーシップよりもフォロワーシップ。「そうだよね」と言って付いていく人が減っている
- コロナや震災は新しい問題を作り出しているのではなく、ずっとあった問題を早回しに見せているだけ
- 社会問題は、やればやるほど多すぎて絶望感。
- 考える人が増えれば優しい社会になる
- 「意識高い系(笑)」と言ってくる人は、仲間になれる可能性が高い
フォロワーシップが重要…なるほど~。社会問題と真剣に向き合うことになったとき、あまりの果てしなさと支援者の少なさに、絶望感、孤独感を感じることは相当あるのだろう。それに挑み続けているのが本当にすごい。私も微々たる力だとしても、フォロワーとして考え続けることは辞めないでいよう。
5月4日
まとめの回。ゲスト無し。
- 社会問題を考えていくときレジティマシー(正当性)が大事。発信した人の背中を押してあげるように、いいねするとか
- 社会問題は敬意をもって話し合わないとだめ。まず相手の話を聴く。100%同じ考えの人も100%違う人もいない
- 運送業やクイズなど、使い方によっては社会問題の解決にものすごく貢献するものが過小評価されている
- 人には必ず「思想の系譜」がある
- エゴを貫き通せば真理にたどり着ける
- エゴを通すためには「自分が大好きな自分、自分を嫌いにならない」ことが大切
- 俗人主義(大沼保昭):人は聖人君子ではない、大したことじゃないからこそみんなが考えないとね(超ニュアンス)
- 属人主義:あの人が言ったことだからOK。という考え方、それはダメ。
- 猿の道(情動だけで動く)と神の道(物事を冷静に見すぎる)を行ったり来たりすることが大切
- 対立するものを結びつけるには、主体的な会話しかない。それが相手の主体性を生み出し、妥協点が見つかる
- 韓国メディアのビッグアジェンダは「民主主義を勝ち取る」ことだった。それができてしまった今、次のアジェンダが見つけられず困っている
- 日本のメディアが勝ち取ったモメンタムって何かあったかな?
知らない言葉がたくさん出てきた…
- 21世紀最大の問題だと思うことは「意欲格差」
- 社会に対する無力感、無気力が今ほど大きい時代はないんじゃないか?
- 「働いていること」以外の社会参画の仕方が今はほとんどない。その方法を作らないと無気力がますます増加するのでは
- 新しい時代の連帯の仕組みを作る
- 資本的に過小評価されているのはコミュニティへの所属コスト
なるほどが過ぎる。
あまりまとまりのないまとめ
4回だと思ったら5回参加していました。
全体を通して、「意欲格差」の拡大と「無力感」の蔓延を問題視しているということが伝わってきました。
その通りだと思います。私自身、こんな勉強会に参加しているものの、自分を意欲のある人間だとはあまり思いません。「意欲がある」が5「ない」が1だとしたら、たまに4になる3といったところです。
でも生きていくのなら、自己責任論に頼らない、優しい社会で生きたい。「生きててよかったな」と感じられる瞬間が多い方が良い。
将来のことを考えるのは正直怖いし気がめいりますが、今向き合っていくことで少しでも良い方向に向かうのなら、無気力でいたくないと思った次第です。こういう想いになれる場所があるということに勇気づけられました!
自宅にいる時間が長~くある間に、将来のことついてもうちょっと考えを深めていけたらなと思っています。
まとまりのないメモ書きになってしまいましたが、読んでくださり、ありがとうございました!
332日 リディズバに数日間参加してみた感想(全体)
こんにちは。昨日親とビデオ通話をしていたら突如、「眉を整えたら?」と言われました。笑
親からメイクのことなんてほぼ何も言われたことがなかったので驚きました。たぶん、ビデオ通話で私の顔をまじまじと見ていたら気になってしまったんでしょう!メイクを研究するには良い機会かもしれないので頑張ります!笑
最近はこんな感じで、ラインのビデオ通話やZoomを使った飲み会など、オンラインでの交流が盛んですよね。その交流の一つ、株式会社Ridilover(リディラバ)が開催する「リディズバ」という社会問題の勉強会に数回参加してみたので、その感想などをまとめておきます。
「リディズバ」とは
主催していたリディラバの概要
そもそもリディラバは、社会問題の現場に訪れるスタディツアー(修学旅行も)を行ったり、社会問題の構造化を行うための記事を作成するなど、「社会の無関心の打破」を目標に活動している団体です。
私はリディラバについて良く知っているわけではなく、あくまでHPや関連するいくつかの記事を読んだ程度でしかないのですが、取り組みはどれも画期的で共感できる点ばかりだな~と思ってきていました。
オンラインでの社会問題の勉強会「リディズバ」
そのリディラバがこの時期に開催したのが、Zoomを使ってオンラインでの社会問題の勉強会を30日連続で開催するという取り組み、「リディズバ」でした。
https://ridilover.jp/news/archives/200422press.pdf
毎回テーマに沿って、その道の関係者と主催者がトークする。それを聴いたり、感想をコメントしたりするといった内容です。
4月5日(日)~5月4日(月)の19時~20時半に行われていたのですが、私はものすごく後半に4回だけ参加しました。
ざっくりとした感想
4回しか参加できなかったので、全体を通しての感想は書けないのですが…ちょっとだけでも、忘れないように書いていきます!
これは良い!と思ったところ
①とにかく参加しやすい
私が一番良いと思ったのはここです!
オンラインなので移動が必要ないのはもちろんのこと。一度参加申し込みをすれば、その時に送られてきたURLを使って、その後毎日参加することができます。申し込みを何回もしなくて良い。「今日参加しようかな」と思ったら、URLをぽちっと押すだけで良いのです!まるでどこでもドア。
②顔を出さなくて良い
Zoomでやると聞いた時、顔出さないとダメかな…と思いビビっていたのですが、顔を出さずに参加することができました(初対面の人に顔を見せることに、まだなんとなく抵抗感があります。特に自己紹介ができないときには)。
顔が見えた方が主催者側としては嬉しいだろうなとは思ったのですが、すみません、ちょっと私にはまだ早かったです!
③ゲストと主催者の話が面白い
ほぼ毎回ゲストが招かれていたのですが、そのゲストと主催者の安部さんの話が面白かったです。お互いよくあれだけの知識がぽんぽん出て来るな~と感心しながら聞いていました。展開が早くて置いてけぼりになることも。知識量と頭の回転の速さに尊敬の念を抱きました。パーソナリティとゲストの話を聴くラジオリスナーのような気持ちになり、楽しかったです。
④参加者のコメント欄が平和かつ知識を補完しあっている
毎回「敬意をベースにしたコミュニケーションを」という呼びかけがあったこともあってか、コメント欄はいつも平和でほっとするものでした。かといって議論がないわけではなく、活発に意見や知識の交換をしていて、コメントを読むのも有意義でした!
⑤参加者と双方向になっている
テーマに沿ったツイートやコメントをすると、ラジオでいうお葉書みたいな感じで時々取り上げてくれます。ただ話を聴いているだけよりも親近感がわきました。
ここはちょっと!と思ったところ
①議事録を参加者が取る
議事録を取る人を毎回募集し、何人かの方が担当してくださったのですが、議事録係は主催側で担当した方が良かったと感じました。
議事録を取るのは勉強になりますが、ずっと議事録に専念することになってしまい、疑問点をメモしたり、面白いコメントを発見したりという自分のための時間を十分に取れなかったのではないかと思います。
(1回目から参加していたわけではないので何か意図があったのかもしれませんが)
②専門用語の解説がほしかった
お話しているのはその道の専門家たちなので、参加者に気を遣ってはいても、やはり一般人にはわからない概念や事例が出てくることがけっこうありました(少なくとも私には)。そのとき、コメント欄で知識のある参加者が補完し合っていたのはすごく良いと思ったのですが、そういった補完がなかったときは主催側が助っ人として入ってくれたらいいのにな~と思いました。
こういうとき置いてけぼりになるのは辛いですからね…自分でも調べますけど、贅沢を言うと、「今の文脈ではこういう意味です」というのを簡潔に示してもらえると最高でした。
画期的な取り組みでした
今の時期、誰もが社会問題の当事者になったと実感しているのではないでしょうか。
だからこそ、社会問題を考えること、しかもオンラインで手軽に参加できるという取り組みを迅速にスタートさせたのは、とっても画期的で素晴らしかったと思います。
行動に移すのが早いっていうのはすごい強いみですよね。
こういうとき、内容は完璧でなくても良いと思うんです。一番大事なのは情熱です!!
ゲストと主催者の話を聞くという、ラジオを聴いているかのような緩めの会だったのもハードルが低くて個人的にはちょうど良かったです。
全体の感想は以上です!明日は回ごとの感想をまとめます!
334日 「意識高い系」という呪いの言葉への対処法を考えてみた
こんばんは。
今週は、出社しなくてはできない仕事が一段落したため、家にいる時間が本当~に長い一週間でした!
私は時間を持て余すと「社会問題を考えてみよう」と思い始める傾向があるのですが、こんな状況ですのでまさに近頃その傾向が顕著です!社会問題についての意見交換を無料公開しているオンライン会議を見てみたり、気になることを調べてまとめてみたりしています(この気持ちが今回いつまで続くのかは不明です…笑)。
そんなことをしている中、今までもずっと気になってきたモヤモヤに一度自分なりの結論をつけておこうという気持ちになり、この記事を書くことにしました。
「意識高い系」という呪いの言葉
私は「意識高い系」という言葉が苦手です。
というのは、私が本当に意識の高い人間だから、とかそういうわけではなく(むしろ私が心の中で思ってしまうこともあります)、言った側、言われた側双方のやる気を吸い取る呪いの言葉だと感じるからです。笑
例えば、私が「社会問題を考えている」ことを人に話すと、「意識高いね」とちょっと引き気味に言われることがあるのですが、なんか馬鹿にされたような気になるし、そんな風に気にしてしまうこと自体にも嫌になります。
反対に私も、「あの人たちは意識高いな~」と、若干苦笑いみたいなテンションで思ってしまうこともありますが、そんな時には、「嫉妬してるだけじゃん…」と思ってへこみます…。
なので私は「なるべくこのワードを使いたくないし、使われたくない、少なくともうまく付き合いたい」と思い、そうするためにはどうすれば良いのかを考えてみました。
呪いの言葉の誕生
そもそもこの呪いの言葉はいつ頃生まれたのでしょうか?
今年25歳になる私の記憶では中学校時代には使われていたような気がしていたのですが、調べてみると、起源は2000年代半ばの就活用語だったようです。
そして驚いたのですが、当初は今のように人を揶揄するためのネガティブな言葉ではなく、本当の意味で「能力が高く、知識も経験も豊富な学生」を指して使われていたそうです。
「意識高い=ダサい」という構図が生まれたのはなぜ?
それが今のように揶揄する言葉として使われるようになったのは、Wikiさんによると
2008年に発生したリーマン・ショックの影響により学生の求人が減ったことや、TwitterやFacebookなどのサービスが日本に上陸したことで、目立ちたがりの学生が実際に目に着くようになった。
2010年頃から「見掛けは良くても成果が無い」とネット上で批判され始めるようになり、瞬く間に批判的な意味として定着するようになった
となっています。ざっくりですみません。
おそらく、就職活動がスムーズにできなくなる中で、誰もが焦りや他者への嫉妬を抱えやすくなっていたのだと思います。
そんな中、本来の意味の「意識の高い学生」になろうと奔走する人たち(Wikiの「目立ちたがりの学生」)はまだ中途半端で中身が伴っていない状態だったため、何もしていないけど何かしようと焦る人達にとって、格好の餌食だったんじゃないかと想像しています。
そのころの「意識高い系」の中には、実際にいけ好かないやつもいたと思います。無駄に偉そうとか、よくわからないことを自己満足でやっているとか。
ただ、言う側にはそのいけ好かなさを大きく上回る、圧倒的な「焦り」「嫉妬」「羨望」があったと思うんです。
…どうしよう、あいつらすげえじゃん、自分たちよりちょっと頑張ってるじゃんという気持ちがきっと心の隅っこにあったんじゃないでしょうか。
そんな、焦り、嫉妬、羨望、引きずり下ろしたい気持ちが煮詰められて完成してしまったのが今使われている「意識高い系(笑)」という言葉なのでしょう。
「意識高い系(笑)」の弊害
言葉の誕生を振り返ってみると、ますますこの言葉が「呪いの言葉」のように思えてきました。
「意識高い」以外にも、「痛い」「だまされてる」「バカ」…このような頑張る人を揶揄する言葉をリアルの世界でもネット上でも頻繁に見かけます。
こんな言葉が使われているのなんて気にしなければいいんでしょうけど、気にせずにいられるのは、我が道を貫く本当にすごい人か、かなり鈍感な人だけ だろうと思っています。
多くの人はこう言われると、ちょっとドキッとしちゃうもの。図星かも…と思ってつい萎縮しちゃうものです。
言った側はというと、一瞬はマウントを取れた気持ちになり優越感に浸れますが、その効果はあっという間に消え、結局は何もしていない自分が残り、虚無感に襲われるというわけです。
なので、こういった呪いの言葉には何かしら対策を打っておきたいものです。
呪いの言葉への対策
「意識高い系」指さす人と指される人が歩み寄るには?
ここまで読むと、「意識高い系じゃん(笑)」と指さすほうが悪いと受け取られてしまうかもしれませんが、言われる人が全員被害者だとは思っていません。
そう言われてしまう理由もいくつかあるのだとと思います。
- 極めていない、中途半端
- 自己完結、自己満足している
- 偉そう
- 伝わらない言葉を使ってくる
などなど、、、
「意識高い系」と言われる人によくみられるこういった特徴は、友達になりたくない人物像とも言えるように感じるのですがどうでしょう。
つまり、呪いの言葉「意識高い系」と戦うには、ただ使わないようにすれば良いのではなく、双方の歩み寄りが必要だということです。
双方が、「自分を振り返り、相手の気持ちを想像する」という作業をするのが良いんじゃないかと考えました。
「自分を振り返り、相手の気持ちを想像する」
例えばこんな感じです。
- 意識高いね(笑)と言われた時:
相手の気持ちを想像=「あの人、本当は私のことが羨ましいのかもな」とショックを和らげる
自分を振り返る=「私の中身がないのかも?」プチ反省会を開く
- 呪いの言葉を発しそうになったとき:
自分を振り返る= 「自分、本当は嫉妬してるのかも」「どこに嫉妬してるのだろうか」自己分析
相手の気持ちを想像=「まだまだひよっこだけど頑張ってるのよ」大人の余裕を持つ
こんな風にして、呪いの言葉に対処するのはいかがでしょうか?
まとめ
「意識高い系」という言葉への対処法を考えましたが、皆さんはどう思われたでしょうか?
この言葉はなくならないだろうと思いますが、もうこれ以上頑張っている人を揶揄するような呪いの言葉が増えるのは良くないと感じております…むなしくなるだけなので!(笑)
確かに、時には本当に口先ばかりのいけ好かないやつにも出会うことでしょう!
でも一方で、頑張り始めたばかりでまだとても未熟な状態の人もこの世にはたくさんいるということ、人は変わるということを心にとめて、寛容にいられたら、幸福度は増すはず。
頑張る人を見守って応援して、自分も何かを頑張るときには、見守られ応援してもらいたいものです!!
私はそう思います。
長くなりましたが以上です!
335日 一人暮らし一年目を振り返る
今日で元号が令和になってから1年経ちますね~
私は、令和元年の初日という記念すべき日に、社会人1年目の終わりというタイミングで一人暮らしを始めました。
つまり、一人暮らしを始めて本日で1年となりました!
長かったような短かったような・・・
ということで今日は、一人暮らしをしてみての現在の気持ちを書いておこうと思います。一人暮らしを始めようか悩んでいる方がいたら、もしかすると参考になるかもしれません。特に一人っ子の方は共感できることがあるのではないかと思います。
一人暮らしを振り返る
一人暮らしを始めた理由
通勤時間
一人暮らししようかな…と思い始めたのは、単純に「家が職場から絶妙に遠かった」からです。家から会社までドアtoドアで1時間30分~1時間45分くらい。
ほぼ毎日1,2時間の残業をするので、21時に終わっても帰宅したら22時半過ぎ。翌日は8時過ぎに出発…地味~に疲れてきていました。
決定的な理由
そして決定的だったのは、
「このままでは自分の人生を歩めないぞ!?」という危機感を持ったことでした。
実家暮らしのままであれば、
いくら仕事が大変でも、家に帰れば親がご飯を用意してくれていて、 可愛い犬もいて、面白いテレビを見てみんなで笑いあえる。貯金も貯まる。
とっても幸せなことです。
でも、もしこのぬるま湯につかり続けていたら?
若い今だからこそできることが、この環境にいてはできないんじゃない?
親がいなくなった後どうするの?
今の仕事のままこれから満足な生活ができるのか?
…という様々な疑問と焦りがわき上がることが増えてきていたのです。
一人っ子って
私は一人っ子なのですが、一人っ子は、親がいなくなることの恐怖が兄弟のいる人よりも大きいんじゃないかと考えることがあります。
唯一すべてをさらけ出している相手であり、いつも自分を見ている存在である親。そんな存在がなくなった時の不安、心もとなさを想像すると怖くなるという感じです。
そんなことないでしょうか?私だけかな…
考え方や性格は、到底ひとくくりにはできないので、「こんな感じ方をしている人もいるのね~~」くらいに思っていただけたらと思います。似たような方がいたら嬉しいですが!
他にも、上司から「一人暮らししないの?」と頻繁に聞かれていたことや、友達からルームシェアの相談が来ていたこともあり(しなかったけど)、一人暮らしを考え始めてからわりとすぐに家を決めて契約しました。
(知らないうちに不動産屋に行き、内見も終わらせ契約してしまったので母は驚いていました)
1年経って思うこと
とはいうものの、一人暮らしを始める前は、自分が一人っ子であることもあって、「親と離れる不安」と「親が寂しがるのではないかという心配」がありましたし、
同時に「お金が貯まらない、もったいない」という気持ちもかなりありました。
実家を離れる直前は本当にさみしかったです。
よく家でこっそり泣きました(笑)
一人暮らしを始めて1か月くらいは、時折無性に両親と犬に会いたくなり、お母さんのおさがりのストールから母の香りがして泣いたりしていました。やばいでしょうか?笑
大学の時に地方から出てきた友人が「新幹線でさみしくて泣く」と言っていたけど、その意味がよ~くわかりました…!!
しかし!!
それから1年が経った今思うのは、
「一人暮らししてほんとによかった~~!!!」
これです。
風邪をこじらせて軽度の百日咳になったとき、
台風で警報が出まくっていたとき、
残業100時間を超えたとき…などなど、しんどい局面はちらほらありました。
でもそれ以上に、一人暮らしをして良かったことが、すんごくたくさんありました。
一人暮らしを始めて良かったと思うこと
一人暮らししてよかったなと思うのはざっとこんなことです。
- 家族への愛が増し、一緒の時間を大切にできるようになる
⇒離れてみてしみじみとわかる、ありがたさ。適度な距離感は大事!
- 自己分析が最高にはかどる
⇒自分が何に時間とお金を使うのか?どういう生き方をしたいのか?などが見えてくる
- 親を一人の人間として見られるようになる
⇒親の言うことがすべてではない、間違うこともあるんだなと思うように
- フットワークが相当軽くなる
⇒習い事を始めたり、マッチングアプリをしてみたり(笑)
もちろん、家事をするので生活能力は高くなります。
実家暮らしでは持てなかったであろう考え方も芽生えました。
- 生活への安心感が心の余裕につながる
- 結婚してもしなくても誰かに頼りきりという生き方はしたくない
- 人は変わる
など。
1年前よりずっと常識人になったし、自我を持った人になってきたと思います。この年になって、自分の人生を生き始めたと感じています。お恥ずかしいですが。
今考えると、一人暮らしを始めるまでの自分は「自分で決めてやってきたこと」が本当に少なかったです。高校も、大学も親に流されるように決めてきましたし、そのことで不便をしたこともなかったので、それを疑問視したり反発しようとしてみることもなかったんです。
例えばものすごく憂鬱だった習い事が一つあったのですが、「辞める」という発想がなく、結局数年続けました。今となってはなんで続けていたのか本当にわかりません…(笑)
私も自分で選択できることがわかり、それが自身につながってきたと感じます。
両親も、別れるときはさすがにさびしそうにしていましたが、今は自由が増えた時間をのびのび楽しんでいるようです。もともと二人の世界に私はいなかったわけですからね、そんなに心配いらなかったのかも(笑)
親子の結びつきというのは良くも悪くもとても大きいものだと思いますが、
こうやって親と子供はお互いに自立していくものなんだなぁと感じています。
早い人はとっくに経験しているんでしょう!
私の場合は反抗期もなく、この時期になりました。
これからのこと
今、親のありがたさを繰り返しかみしめつつ、自分の人生をやっと歩み出した喜びも味わっています。
大人になっていく辛さより、今は冒険を始めたような楽しさの方が大きいです。
まだまだ相当気楽なもんです。
そして、現状に満足していないことも良い意味ではっきりしてきました。
やってみたいことがいっぱいあります。
この勢いがあるうちに、怖いもの知らずで両親も元気でいてくれるうちに、やりたいことをやってみて、自分の好きな自分になりたいと思っています。
もし 、親御さんが元気で、離れて暮らしてもお金の心配がないのなら(私は正直カツカツですが生きていける)、一人暮らしを始めることをおすすめします。
コロナで実家に帰れないのはやはり辛いですが、今はじっと耐えます。次帰るときが楽しみです!